憶えがき

自転車、手芸、お散歩、へたくそな写真。

中年ヒキニート、アイルランドにロードレースを観に行く:序章

ご無沙汰しております、ほんっっっっとに。
いろいろありまして、2016年末より無職ヒキニートしております。
一月に入院して手術して、一ヶ月くらいは自宅療養といってましたが派遣会社管理課の手違いで傷病手当金が受け取れず、これ以上ここで働ける気がしない。
長年お世話になった派遣会社にこういう形で裏切られるとは思わなんだ。まあ、そういう扱いを受ける程度のスタッフだったんでしょう、わたくしは。
マ**ビつぶれろ。

旅に出ようとしたわけ

話は去年の6月まで遡る。アンディ・シュレック引退後のわたくしの一番推し選手だったキャメロン・マイヤー(以下キャム)の謎の、突然の引退表明がありました。
「個人的な理由でチームに脱退を申し出た。チームはショックを受けたけど彼の望みに沿った」
。°(°´Д`°)°。
個人的な理由ってなんだろう?アンディを観そびれた身としては、キャムは絶対観に行くつもりだったのに。ぼやぼやしてるうちにこんなことになろうとは。
更に夏の健康診断で再検査にひっかかる。MRI撮って検査して、重篤ではないけれど入院&手術した方がいいと診断された。入院と自宅療養で三週間必要だと派遣先に言ったら「そんなに休まれたら困る困る困る!!」の一辺倒であっさり契約終了。それでも年内いっぱい粘ったけども。ダイヤ***グ*フィ**なんかつぶれろ。
踏んだり蹴ったりの10月のある日、突然キャムの競技復帰表明
Σ(;´Д`)
「必死にもがいても、どうしてもモチベーションを保てなかった。ワールドチームに求められる結果を出せなくなった。チームを去らざるを得なかった。とにかく時間が必要だった」
。°(°´Д`°)°。
「オーストラリアに二週間戻って家族や友人と過ごして、アンドラに戻った。夏じゅうを費やして、自分は自転車以外に何がやりたいのか考えていた。二ヶ月間自転車に乗らなかった。12歳から競技を始めて、これだけ長い間自転車に乗らなかったのは初めてだった」
辛かったんだねえ、キャムも。
「スポーツから遠ざかるにつれて、トラック競技にまだ大きな野望を残していることに気づいた。そしたらモチベーションが戻ってきた。自転車に乗るのがずっと楽になった。もう一度ここからやり直す」
プライベート滅茶苦茶だったけど、キャムの復帰があったから頑張ってこれた。年明けの入院中も、ツアー・ダウンアンダーをチェックしてたし退院日は第四ステージ、キャムがジャック・バウアーと逃げていた。どういうわけかゴール前15キロだったかで彼は踏むのをやめて吸収されちゃったけど、敢闘賞を取った。
その後のカデルエヴァンス・グレートオーシャン・ロードレースで、フラムルージュ通過した直後にアタックして3位、年明けすぐのオーストラリアロードレース選手権では順位こそ13位だったけれど、ゴール前でこれまたゾクゾクするようなアタックを魅せてくれて、わたくしを熱くさせてくれたのでした。
香港のトラック競技世界選手権はパスポートが切れていたのと、4月はもしかしたら働いてるかもしれないなんて思ってたので準備を全くしなかった。行けば良かったかもしれないけど、トラック競技はルールがまだよくわかんないし。それでもライヴ配信があるレースは頑張って視聴した。実況が現地語でも興奮して名前絶叫してくれるので、ああキャムったら凄いんだ、強いんだなー!くらいは把握できた。何より走ってるところが観られるだけで幸せだった。
トラック競技のシーズン明けっていつ頃なんだろう?とぼんやりヒキニートしてる最中に、アイルランドAn Post RásというUCIランキング2.2のロードレースに、オーストラリア・ナショナルチームの一員として出場すると知る。他の面子はU23の若い子ばかり。TDUもエヴァンスレースもジェイコ・ヘラルドサン・ツアーも世界選手権も、キャムは若い子にリーダーシップ取ってたわけですし。
ロードで彼が観たいな。しかもアイルランドか。わたしの第二の故郷のアイルランドか。アイルランドなら英語圏だしな。
どうしよう。
どうにかするか。
しようか。
しような。
まずはパスポートだ。